青海川しゅかと巡る越乃Shu*Kura沿線の旅 2日目

2日目は長岡から。
まずは駅前大手通のアオーレ(現市役所で旧厚生会館)に行き駅メモミッション「⑩アオーレに行く」をクリア。
摂田屋(宮内)界隈に行く前に腹ごしらえにフレンドでも行こうかな?と思ったら10:00からだったんで 上越線 8:38発 1728Mで宮内へ。
宮内降車後、駅前から摂田屋方面に歩いて行き…(?ん?なんか違うぞ)…とても残念なモノを発見してしまいました。

 

宮内はこのBlogを見ている人になら言わずもがな私が生まれ育った町。
おまけに普通に住んでいる人よりその歴史…街道や旧宅、今は往時の姿無き遺構などの由緒も知っています。
えええええ?をい?ちょっと待て…。秋山孝美術館の手前で愕然としました。
高田米屋の前で急に道路が細くなるところ。これはこの横断歩道を境に手前(宮内駅方向)が昭和20年8月1日の長岡大空襲で消失したエリア、摂田屋方向が残存エリアの境界線を為していたのですが…「何してくれたん…。」
長岡の花火を語る上で長岡大空襲は必ず対となるべきものです。花火の観光誘致に精力を傾けるなら、同じだけの精力を空襲遺構の保存や記憶の隅から語られた体験などアーカイブ化に傾けるべきです。それをおまえら(長岡市)は「何をしてくれたんだぁ~!!」
東京はビルや高速道で再開発され過ぎても実は要所要所に戦時を偲ばせる遺構をありのまま残しています。
それをこの程度の、多少は車の行き違いに便利になるだろう程度の理由でこんなにはっきり解る戦時遺構をあっさり消し去るなんて…。

もうひとつあります。摂田屋入り口に来たとき見えた異様なレトロ風商業施設は「江口だんごぉ????」
摂田屋には大昔から右門明治堂という笹団子屋の老舗があります。その摂田屋に我々から見たら対局する川向こうの江口だんごが(お地蔵さんで有名な)越のむらさき(山又醤油)の蔵元の旧宅を門扉だけ残してぶっ潰しての進出…さぞかし気持ちが良いだろうよ。何があってもおめぇのとこのだんごなんざ頼まれても食わねぇからな!

ここで長岡の歴史地理を絡めて両だんご店の違い簡単に書いておくと、
右門明治堂の摂田屋/宮内は越後長岡藩の御城下(=旧市内)から江戸方約1里にある三国街道(現在のR17)沿いの在郷町で摂田屋は接待屋が町名の由来。
宮内は摂田屋より少し後に御城下側に伸びて出来た町で鎮守である髙彦根神社が妙見神社と金峯神社の間(宮と宮の内)から宮の内と呼称され、この両町が古志郡上組村の中心地でした。
昭和23年に周辺一帯が上組村から町制施行され宮内町となった後、昭和29年に(明治39年に市制施行し古志郡から独立していた)長岡市に編入されました。

対して江口だんごは長生橋筋~宮本を端とし、この道筋(現在のR8)は長岡の御城下から北国街道の柏崎宿に抜ける近道として開設された長岡街道と呼ばれるもので、
現在本店のある宮本村は(大積村と合併した二和村を経て)昭和35年に三島郡から長岡市に編入されました。
今は同じ長岡市でも違う街道/違う郡の村としてそしてまたそのエリアの文化の中核として歴史を刻んできました。

街道筋が違うという事は考え方や言葉にまでも色々な違いが出てくるものです。その旧三島郡の商家に旧古志郡の老舗旧宅を取られもっともらしく商売を始められる。まるで背乗りの如くの居座りを見て黙っていられますか?って事なんです。

しかしながら本件、江口だんごが悪いわけではなく介在した業者が悪いわけでもなく諸悪の根源は電通などの広告代理店にあります。
ことさらに「醸造の町 摂田屋」などレトロ風情を強調しテーマパーク化し、ネタが薄くなってきたら果ては虚構の捏造、それでも続けなければ…。
当ブログ別記事でも書きましたが当時あれだけ華やかな高原リゾートとして隆盛を誇っていた清里は今は廃墟だらけです。
全国の観光地、思いつくだけでも(そう言えばあそこもあそこも…)と出てくるでしょう。
電通など広告代理店の観光誘致策なんてモノは地元に根ざしたものではなく軍隊アリが通り道のコミュニティを蹂躙しながら移動するのと同じ、獲れるものが無くなったら放棄して次を求めて移動します。
そうでなければ事業として回転しませんからね。そんな繰り返される悲劇に摂田屋が巻き込まれない事を切に願うばかりです。

と、立て続けの怒りと幻滅にぶつぶつ言いながらサフラン酒前で駅メモミッション「⑨サフラン酒に行こう」をクリアで全ミッション完了。
醸蔵の営業開始時間待ちを兼ね、私が通った旧上組小学校付近をぶらぶら歩いているととても意外なモノを発見。(↓写真参照)
ああ~…こんな風に残っているんだぁ…と嬉しくなりました。

摂田屋/宮内でやりたいこともほぼ終えたので帰途に着くため再び長岡へ…と宮内駅に来たら、前川方面から往路Shu*Kuraがやってきて停車。
と言うことは発車数分後には長岡を折り返して再びここを通過するぞ。と撮れた動画がこちら。



また乗りたいって言うか、こんなにおおっぴらに酒が飲め肴や弁当も食える呑み鉄御用達列車もそうそう無いでしょ。(笑)

 

金沢への長丁場に備えて長岡で最後のシメはフレンドの最強コンボ「ぎょうざ+イタリアン+チョコバニラソフト」
このあと上越線~飯山線~ほくほく線経由を選んだため13:50発 水上行きに乗ったのですが、と言うのも 2,3日前から柏崎の米山界隈で運転取り止めレベルの20m越えの強風が予測されていたため、長岡駅で確認しても「いまのところ…運行予定です」ではあっても念のため内陸迂回を決断。
そして越後川口で 14:16発 十日町行きに乗り換え、十日町で 15:10発 直江津行きに乗り換え、直江津で 16:12発 泊行きに乗り換え。

泊ではいつもの玉突き乗り換えせず次発に乗ったのですが、これは先発の 17:31発 高岡行きに乗っても 富山に18:20着/ 高岡に18:43着 そのあと高岡で富山を18:42に発車する金沢行きに乗り換えしなければならず、それなら次発の 17:48 富山行きに乗っても富山に 18:36着のあと 富山発 18:42 (高岡発 19:01) 446Mに乗り換えた方が待ち時間も少なく座れる可能性が高いので…と言う選択ですね。

そうこうして無事金沢の自宅に帰着。心置きなくShu*Kura三昧も出来とても良い旅でした。