5月 6 2006
碓氷鉄道遺構と足尾銅山(2日目)
2日目は伊香保から渋川に抜け金精道路から日光を目指しました。
5月というのに標高の高いところには残雪が…。
日光のあとはR122わたらせ街道を経由しての足尾銅山。
今はもう売ってしまいましたが、赤城山南面(その名も名だたる赤城ロマンド(笑))に別荘を持っていたことがありまして、足尾,上神梅,大間々あたりはよく散策してたんですが…相変わらず良い古さを残してますね。
ということで2日かけて碓氷鉄道遺構群と足尾銅山遺構群を巡ってまいりましたが、共に碓氷は信越本線/足尾は足尾鉄道(わたらせ渓谷鉄道)と鉄道と共に歩んだ歴史がありますが、
碓氷の方は少しはましとして足尾の方は銅山観光だけじゃこの先危ないんじゃないかな?遺構…じゃなくてただの廃墟群になってしまいそう。
碓氷の方は軽井沢他周辺の観光地や横川の鉄道文化村に金を落とすことで管理費用を捻出出来ても足尾の方は日光とは少し違うしわたらせ鉄道だけじゃ素通りだし…。
永く残ってもらいたいもんですね。
4月 30 2021
写真を残す意義
昨日、碓氷鉄道遺構と足尾銅山(1日目) と 碓氷鉄道遺構と足尾銅山(2日目) と立て続けに思い出し記事を書いたのは昔の写真を見ながら(今はどうなってるんだろ?)とサイトやGoogleストリートビューを見ていて愕然としたためなのですが…。
例えばこれはネット上でも大きな話題になったけれども平成の大修理を受けた「日光東照宮の三猿」
(平成の大修理後の画像はWikiPediaが参照しているRay in ManilaさんのFlicker画像から借用しております。)
東照宮そのものが「記録にあるだけでも何度も顔や雰囲気は変わっているけれど、仏像島の美術工芸品ではなく建造物の修復として行っているので許容範囲」とのことなので納得せざるを得ないわけですが、
この2点だけでも2018年ではこうだけど2006年はこうだったの証明になるわけじゃないですか。
次にこれはとても残念な光景を見てしまった事になりますが、足尾銅山の通洞動力所。
私が撮った写真とGoogleストリートビューを同じような画角になるように並べてみましたが、2006年の写真ではまだ歴史的建築物とか銅山遺構と呼べる品位を保っていますが2014年11月のGoogleストリートビューでは…これはもう廃墟であり単に朽ち果てた古い建造物。
と、ここでよく見ると通洞動力所。レンガ造りは中央棟だけかと思えば両サイドのトタン屋根の内側もレンガ造り…というよりもトタン屋根後付けなんですね。
こんな風に撮り溜めた写真の中に意外な発見もあるかも知れないわけです。
何でもない古いスナップでもなんか映り込みがあったりピンボケでも臆さず公開しちゃいましょ。もしかしたら変遷を辿っている人の手助けにもなるかも知れないですしね。
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By najirane • 日記, 歴史, 雑感 0 • Tags: Googleストリートビュー, 三猿, 東照宮, 足尾銅山, 通洞動力所