2022盆は甲信越(2日目)

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2日目(8/12金)は甲府スタート。さて皆さんは37年前の今日を覚えてますか?1985年8月12日の夕刻、JAL123便が御巣鷹の尾根に墜落した日です。
私はと言うとこの日、群馬の赤城カートランドでミニバイク関東耐久レースに参加の後、仲間と別れ独り愛車CMX250(日本名:Rebel)を走らせ、17号から都内を環八-3国-1国抜けての西湘道路で箱根に…の頃、頭上を123便が飛んでいた事になるんですね。
箱根塔ノ沢の旅館(確か一の湯本館)のTVは当時よくあった100円入れないと何も見れない奴で疲れもあって温泉に浸かって軽く引っ掛けただけで爆睡。
翌日も何もなかったかのようにチェックアウト。甲府精進湖道路を降り小淵沢駅前で(ここでようやく鉄道に繋がったぞ(笑))写真を撮り小海町まで降りてきたらもう大変な騒ぎ。
道路を埋め尽くす救急車/消防車/パトカーに自衛隊車両。
とりあえず入ったガソリンスタンドで聞くと「どこかこの辺りの山に飛行機が落ちたらしい…」と初めて事件を知りました。
そんな記憶を辿る小海線の旅。

行程は37年前とは1日違いですが37年前の今日、車窓右に見える稜線の向こうで起きた惨劇は、そのルートにほぼ同時刻に沿っていたことも何かの奇縁としてまた私もある意味渦中の目撃者として毎年の今日がくれば思いだし書くことになると思います。

さて、野辺山で降りた後そのまま次の小諸行きを待つのもあれなので一旦清里に戻りそこからまた小諸行きへのボックス乗りをすることにして野辺山発で8:38 小海線 小淵沢行き 224Dに乗りひとつ隣の清里へ。その昔は高原リゾートの代名詞でもあった清里も…寂れたねぇ。華やいだメルヘン調の建物も廃墟と化した今ではむしろおどろおどろしい感じ。
清里発 10:33 小海線 小諸行き 225Dに乗り小海線の旅に復帰。
海尻あたりから平地に出る頃に右に見える稜線の向こうが御巣鷹の尾根。きっと今日は今年も慰霊登山や慰霊の集いが行われているのだろうな…と独り車中で合掌。
そうこうして列車は小海線終着の小諸へと着き、小諸発 12:24 しなの鉄道 軽井沢行き 764Mへと乗り換え軽井沢へ。

軽井沢は変わらず賑やかに観光客を集めてますなぁ。新幹線開通に伴い建物は大幅に近代化されたけれどもすぐ隣に旧駅舎を残してくれて…でも手元にある1976年8月当時辺りの写真と比べるとかなり違うような…移築じゃなくオマージュな新築なのかな?似たような例では原宿駅が同じやり方を踏襲のはずだけど案外…。
軽井沢では叶えば私がこれまで食べたピザの中で最も美味い「アトリエ・ド・フロマージュ ピッツエリア」のピザでも食べたかったところですが居並ぶ行列に諦めつつ道路の向かい側を眺めれば・・・「らくか(古月堂)が無い~っ」駐車場になってますがな。
確かに「らくかが店を辞めるらしい」と、たがみよしひさ氏(軽井沢シンドロームの作者)から聞かされ、それならと最後のらくか詣でをしたのはもう4何前の2018年8月4日。
そのまま建物が残っていたらそれこそ清里と同じ哀れしか感じないだろうけれども、誰か継いでくれる軽シンフリークはいなかったのかねぇ。
まぁこうなったら知っている人だけ脳内VRでらくかにひたる耕平ちゃんや薫さんを見るのが良いのかもね。

廃線後の移動手段である軽井沢駅前発 14:15 JR関東バス 横川行きで峠を下り横川につくなり真っ直ぐにおぎのやの本店へ。存在は大昔から知っていても店内で食べるのは初めて。
私も数回しかないけど、あさま号で横川に着きエアを抜いてケツ押し機関車を連結…してる間に乗車口で1000円札を振ってるとおぎの屋さんの売り子が走ってきてくれて峠の釜めしを買って…席に落ち着く頃に発車。窓から見ていると売り子さん達総勢で列車が見えなくなるまで最敬礼。食べ終わる頃に72のゴルフコースが見え・・・こんな最高な旅行風情、今ではもう味わえないんだよね。

そんな横川を16:00発 信越本線 高崎行き 148Mで出た後、高崎で 16:40発 上野東京ライン(高崎線) 1927Eに乗り換え今日の宿を目指す・・・前に息子夫婦に会って孫らと夕食したあとで息子を連れ出して呑んでたってぇ呑み鉄話はまた別の機会に。(笑)