とき号 復活運転

どこに行くこともない2021年GW…写真フォルダを漁っていたら「とき号復活運転」の画像を発見したのでこれもブログ化しようか?と、ついてはデタラメ書いてないか周辺情報でも調べようか…と、「とき号復活運転」でググってみたらなんとトップに出て来たのが私の放置HPそれも枠囲み付き。(笑)
(あれ?私の画像フォルダよりHP掲載の方が画像が多いぞ?)…ということから過去HPからの移植を思いつき以下のコンテンツとした次第です。(2021年5月2日 追記)

『とき号 復活運転』(2001年10月13,14日)

平成13年(2001年)10月13日および14日、鉄道記念日行事として特急とき号が復活運転されました。
とき号は昭和37年6/10のダイヤ改正で誕生した上越線電車特急で、151系(こだま型)をパワーアップした161系でデビュー。
昭和39年10/1のダイヤ改正から181系が投入され、昭和49年後期から183系に置き換わっていき、昭和57年11/17、上越新幹線の開業を受け20年の飛翔に幕を閉じ、翼を休めることとなりました。
(ちなみに「とき」の愛称だけは上越新幹線の各駅停車車両に譲りましたが、
その上越新幹線「とき」も平成9年10/1に廃止、全車両があさひになりました。)
が、多くの新潟県民や上越線利用者からのクレームが相次ぎ、この復活運転の翌年=平成14年(2002年)12月のダイヤ改正より「とき」が全面復活、かわって「あさひ」の名称が消滅するという逆転復活を遂げました。

2001年10月13日(下り運転)

実はこのとき号復活運転初日下り運転編、長岡駅手前の宮内駅で1分間の臨時停車を行いました。
その情報を事前に知っておりましたので邪魔な存在が誰もいない宮内駅ホームにて撮りたいように思う存分撮れました。(^^)v
でも、宮内駅だってただのローカル駅じゃなく、上信越線分岐駅=上越線終点という重要な駅なんですよ。

2001年10月14日(上り運転)

2001年10月14日(長岡駅での動画編)

電光掲示板(その1) 当時のデジカメ(CASIO QV2300では15秒までしか撮れません。(泣)

電光掲示板(その2) 当時のデジカメ(CASIO QV2300では15秒までしか撮れません。(泣)

長岡駅 5番線に入線の特急とき号

長岡駅を後にする特急とき号 また会う日までさようなら~。

2001年10月14日(上り運転での使用車両)

10/13,14両日とも(折り返しなので当たり前かもしれませんが)183系1000番台でした。
この183系1000番台というのは雪に弱かった181系の汚名を返上するために耐雪構造とした国鉄自信作で、それはそれで良いわけなんですが、私としては181系で運転して欲しかったですね。
というのは183系のヘッドマークはL特急汎用の正方形に近い大型枠に「とき」ですが、181系以前では横に長い旧型電車特急の横表札型ヘッドマークとなり大きく「とき」と書かれた下に「TOKI」のふりがな(?)とその間にはトキの絵柄の代わりに小さく漢字で「朱鷺」と書かれていたんですね。
...といっても走れる車両で現存しているのだろうか。(^^;
ちなみにこの車両編成ですと、千マリ(千葉・幕張電車区)の「さざなみ」「わかしお」「しおさい」 用編成番号8番ですが、グリーン車に使ったサロ183-3は「波動用」編成番号30番から借りてきているようですね。

おまけ:当日のノベルティ

やっぱり「とき」には格別の思い入れがありますね。
私が育った長岡から見た都会というのは新潟もそうですがやっぱり東京でして、東京へ行く方法というなら昭和中盤生まれのσ(^^;としては[とき] [いなほ] [はくたか]がある中では[L特急 とき]がもっともポピュラーな方法でした。
東京へ行く=[とき]に乗る。が常套手段、かつ、ステータスシンボルと言ったところだったでしょうか。
だからこそ上越新幹線が通り「あさひ」なんて変な名前の雇われ特急には当初から違和感を覚え、各駅停車の「とき」は格下…かと思えば消えてもらうって???とJRの地域住民感情を無視した行いには不満を持ち続けていましたが、ようやくその恨みも晴れた想いです。(笑)