写真を残す意義

昨日、碓氷鉄道遺構と足尾銅山(1日目) と 碓氷鉄道遺構と足尾銅山(2日目) と立て続けに思い出し記事を書いたのは昔の写真を見ながら(今はどうなってるんだろ?)とサイトやGoogleストリートビューを見ていて愕然としたためなのですが…。

例えばこれはネット上でも大きな話題になったけれども平成の大修理を受けた「日光東照宮の三猿」

(平成の大修理後の画像はWikiPediaが参照しているRay in ManilaさんのFlicker画像から借用しております。)
東照宮そのものが「記録にあるだけでも何度も顔や雰囲気は変わっているけれど、仏像島の美術工芸品ではなく建造物の修復として行っているので許容範囲」とのことなので納得せざるを得ないわけですが、
この2点だけでも2018年ではこうだけど2006年はこうだったの証明になるわけじゃないですか。

次にこれはとても残念な光景を見てしまった事になりますが、足尾銅山の通洞動力所。
私が撮った写真とGoogleストリートビューを同じような画角になるように並べてみましたが、2006年の写真ではまだ歴史的建築物とか銅山遺構と呼べる品位を保っていますが2014年11月のGoogleストリートビューでは…これはもう廃墟であり単に朽ち果てた古い建造物。

と、ここでよく見ると通洞動力所。レンガ造りは中央棟だけかと思えば両サイドのトタン屋根の内側もレンガ造り…というよりもトタン屋根後付けなんですね。
こんな風に撮り溜めた写真の中に意外な発見もあるかも知れないわけです。
何でもない古いスナップでもなんか映り込みがあったりピンボケでも臆さず公開しちゃいましょ。もしかしたら変遷を辿っている人の手助けにもなるかも知れないですしね。