2021夏の青春18きっぷ-2日目(飯田線)

2021年8月8日(日)。さて、2日目は岡谷からスタート。
しかしながら当日になっても一気通貫するか乗換乗換の方が良いのか迷いながら岡谷駅へと向かい駅員に(座ること考えたら)7:53の上諏訪始発でほんとに一気通貫した方が良いだろうし色々な列車や観光を考えたら8:29岡谷発を飯田/天竜峡で乗り換えた方が良いだろうけど、どっちがお勧めですか?と聞いたら7時間に耐えられるなら一気通貫もありだろうけど座れないほど混む分けでもないから休憩を取りがてら乗り換えでも良いんじゃないですか?とのこと。う~ん…。

 

最終的に、乗るなら始発/読むなら初版と岡谷駅から乗換乗換ではなく上諏訪始発から一気通貫を選び7:53発 1520M N332編成(211系3000番台 クモハ2511-3041)にて上諏訪へ。
で、上諏訪のNewDaysを見たら「ほいじゃねぇ」なる駅弁があると。何でも地元企業とのコラボで一度は絶滅した飯田線の岡谷上諏訪側での駅弁を復活させたものとか。
9時には今日の分が入るというので時間もぴったり。ひとつ予約させてもらって上諏訪駅付近をぶらぶら。
しかし上諏訪ってこれに限らず至近にコンビニもあるし飯田線/小海線スタート地としては岡谷より優れてますね。泊まりは岡谷スタートは上諏訪で決まりでしょう。

NewDaysでお弁当をもらいついでにビールやお菓子を調達していよいよ飯田線7時間耐久のスタートは 9:22発 544M B115編成(313系1700番台 クモハ313-1702)
しばらくして再び岡谷に着き上諏訪での乗車率が1割程度だったのがここで4割程度に。やっぱり皆岡谷から乗るんだなぁ。
飯田を過ぎた辺りでお弁当タイムは上諏訪で買った諏訪弁「ほいじゃねぇ」地元の老舗とのコラボ弁当は酒のつまみにぴったりですね。
そして12:48着の天竜峡で乗客が3割ほど入れ替わりここから先は秘境駅のオンパレード。
上のスライドショーには為栗と小和田しか移ってませんが以下は金野,中井侍,小和田の秘境クライマックスの到着前面展望ビデオです。

そうこうして列車は豊川の次の駅の牛久保に到着そして下車。
あれ?豊橋まであと4駅なのに一気通貫じゃないの?と思われるでしょうが実はここが飯田線乗り最大の目的地。我が越後長岡藩の故郷なんです。
正確には越後長岡藩の藩主である牧野氏発祥の地、そして世にも有名な長岡藩の藩是でもある『常在戦場』の四文字発祥地です。

GoogleMapで大体の位置関係は調べてあったので黙々と牛久保生涯学習センター(旧牛久保公民館)を目指します。
途中牛久保八幡社の入り口に史跡巡りの看板があったのですが…ん~フルコンプは無理ポだな。
そして着きました牛久保生涯学習センター(旧牛久保公民館)。お~玄関から既に見えるじゃないですか。
この牛久保の壁書は当時のものではなく昭和51年に当時の牛久保小学校校長の中島力氏が長岡市史(!)にこの27箇条を見つけ板書したもので言ってみれば故郷帰り。
しかしながら牧野家の家訓であり長岡藩の藩是であることは間違いなく長岡魂の神髄です。
総括でも書きましたが昨今のコロナ渦での自粛自粛…。旅行が悪いわけじゃないんです。酒が悪いわけじゃないんです。
旅に出た,酒を飲んだで気が緩んでの濃厚接触でしょ?コロナウイルスはどこにでもいると注意を怠らず予防に徹する=これこそ常在戦場の精神ではないですか。

このあと牧野成定公廟へと向かいました。牧野成定は徳川家康(当時は松平元康)家臣となった初代とも言うべき人で子の康成は群馬県大胡城主へ孫の忠成が初代越後長岡藩主となりました。
つまりは初代の長岡で言う「牧野の殿さん」のお爺さんにあたる人です。
このあと牛久保小学校に壁書由来の石碑を探してから牛久保城趾へ。
既に石柱しか残っていませんが江戸時代以前の多くの地方藩主の城はこんなもので石柱や公園として整備されているならまだ良い方ですね。越後長岡藩の長岡城だって石碑だけなんだから。
豊橋に向かうは牛久保発17:52 552G R116編成(313系3000番台 クモハ313-3028)
有意義な良い旅の1日だったと達成感に包まれ豊橋に到着です。

→→ ということで無念の3日目に続く →→