金沢 不自然な長方形

先日の自転車購入を機に私が金沢に越してきて以来、地図を見るたび不思議に思っていた不自然な長方形の現地調査(大袈裟)に行ってきたのでご紹介します。
なお紹介の画像はGoogle Photo版の方では地図上にプロットマークと説明書きが表示するようになっておりますので現地写真はそちらをご覧ください。
→『不自然な長方形』 https://photos.app.goo.gl/ZDhjLaRG2R1Gj8gB6

かねてより同地にはその昔高等師範学校があったことは解ってはいたものの、それが何故にあのように斜めった不自然な長方形?と言う疑問が解けず、昨晩もTwitterで悶々書いていた謎…。

それが今日の自転車散歩+写真撮りの途中に寄った泉野図書館で各種文献を寄せ集めていたら概略が解りました。

1.事の起こりは江戸末期、黒船来航を機に夷敵襲来に備えて加賀藩がそれまでも鷹狩り等に利用していた芦中先(と言う地区)に駐練場を開設。
なだらかな斜面を開削・埋め立てして平地とした事により人工的な敷地の基礎が構成される。

2.明治初年に授産振興を図り民間に払い下げ、お茶をはじめとする各種農産物の栽培が始まる。
 ※上記の加工場として敷地に隣接した集落が後に地黄煎町(なお煎の文字は前の下に火の”せん”)と呼ばれることになる。

3.明治40年5月に同地のうち450坪が徴用され金沢測候所となる。
 ※その名残かどうか不明だが敷地に隣接して日本気象協会北陸支店がある。

4.大正に入り金沢高等師範学校が同地に開学。

5.終戦後、同地に泉中学が開設、ほどなく弥生小も開設。

6.現在にいたる。

と言った模様。つまりは江戸末期には何もなかった土地にあのような形に注練場が出来たあとに市内や近郊を結ぶ道路が同地とは違う角度で往来するようになりあのように不自然な形の長方形として残ったまま現在に至る。と言うことでした。めでたしめでたし。(笑)